【流山市】【野田市】戦後80周年記念「終戦に導いた郷土の偉人~鈴木貫太郎」について学んでみませんか?

2025年は終戦後80年です。日本を終戦へ導いた千葉県の偉人、鈴木貫太郎の特設展示が流山市で、記念講演会と映画上映会が野田市で開催されます。鈴木貫太郎は千葉県初の内閣総理大臣であり、幼少期と晩年は関宿(現野田市)で過ごされました。最後の言葉は「永遠の平和、永遠の平和」と伝えられています。そんな鈴木貫太郎を知ってもらいたいということで流山市と野田市で開催されます。2025年鈴木貫太郎野田市学芸員の笹川知樹さんによる教育講座は好評につき満員となり受付は終了しています。森の図書館で2025年7月18日から8月15日までギャラリーケース展示と特設展示を行っています。

鈴木貫太郎とはどんな人

慶応3年(1867年)1月18日に和泉国大鳥郡伏尾新田(現在の大阪府堺市)で生まれる。
明治4年~5年(1871年~1872年)に関宿に転居。教倫学校(現在の関宿小学校)に入学。
明治10年(1877年)父の転勤により群馬県前橋に転居。
明治20年(1887年)少尉候補生となる。
大正3年(1914年)海軍次官就任。
大正6年(1917年)練習艦隊司令官となって日米戦争を否定「平和の海である太平洋で戦争をしてはいけない」と演説。
大正11年(1922年)呉鎮守府司令長官となる。関東大震災時には独断専行で救護物資を送った。
大正12年(1923年)海軍大将となる。
大正13年(1924年)連合艦隊司令長官となる。
大正14年(1925年)軍令部長となる。
昭和4年(1929年)侍従長に就任する。
昭和11年(1936年)2・26事件では瀕死の重傷を負うも一命を取り留めた。
昭和16年(1941年)真珠湾攻撃。太平洋戦争が始まる。
昭和19年(1944年)枢密院議長となる。
昭和20年(1945年)第42代内閣総理大臣に就任。在職13日で日本を終戦へ導く。11月関宿へ移住。12月には再び枢密院議長となる。
昭和21年(1946年)憲法改正草案の枢密院会議の可決を見届けて辞職。
昭和23年(1948年)関宿の自宅で死去。最後の言葉は「永遠の平和 永遠の平和」
~ギャラリーケース内年表より抜粋~

2025年鈴木貫太郎ギャラリーにはその時代の流山市の小学生が首相就任を祝ったという作文集が置かれています。貴重な資料なので湿気等帯びないように折り目がつかないようにと学芸員の方が2週間ごとに違うページを開くそうです。2025年鈴木貫太郎

軸「天空海闊」(てんくうかいかつ)とは大空や海のように広いこと。またそのような度量をもつこと。戦前、この言葉を選んで揮毫されたそうです。
「為萬世開太平」(ばんせいのためにたいへいをひらく)永遠の平和をつくるという意味があり、終戦の勅書でも使用された文言だそうです。2025年鈴木貫太郎鈴木貫太郎に関する著書をご覧いただくこともできます。

開催日:2025年7月18日から8月15日まで
場所 :森の図書館(流山市東深井)
時間 :9時30分から17時まで(最終日は12時まで)
交通 :東武アーバンパークライン運河駅より徒歩20分、または江戸川台駅から流山ぐりーんバスで森の図書館下車1分
2025年森の図書館

森の図書館への入口

2025年森の図書館

ドラマ撮影などにも使われる森の図書館

場所も素敵な森の図書館です。ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

2025年鈴木貫太郎野田市では鈴木貫太郎の孫娘、鈴木道子氏の記念講演会と「日本のいちばん長い日」の映画上映会が2025年8月30日に行われます。

映画上映会:
1回目 開場9:00 上映9:30
2回目 開場13:30 講演会開演14:00 14:45終了 上映15:00
(2回目は鈴木道子氏の記念講演会後に上映)
場所:野田ガスホール(野田市文化会館)
入場券配布場所:野田ガスホール(野田市文化会館)、野田市生涯学習センター、野田市内公民館(1人3枚まで、電話でも予約可)
入場料:無料
交通:東武アーバンパークライン愛宕駅から徒歩15分
2025年野田市文化会館

写真提供:野田ガスホール

2回目の講演会・上映会のチケットは残りわずかとなっています。1回目の上映会のみはまだ余裕があります。早めにお申込みください。
平和を願い、活動し続けた鈴木貫太郎。ぜひこの機会に学んでみてはいかがでしょうか。

森の図書館はこちら↓

野田ガスホール(野田市文化会館)はこちら↓

号外NETの広告出稿はこちら

号外NETメルマガ

号外netは持続可能な開発目標(SDGs)を支援します

号外netへの提供提供求む!